成功とは欠落である

どんな人にも子ども時代の「心の歪み」というのはあると思います。
それはささいなゆがみかもしれないし、大きなゆがみかもしれません。
そのゆがみの反動が、その後の人生として表れるというのが僕の考え方です。

経営者として大きく成功するような人は、何らかの形で子ども時代に大きなゆがみを抱えており、それに対する反動が大きな成功という形で後年表れたのではないでしょうか。

もちろんこれはビジネスだけに限った話ではないと思います。

初めてこの考え方に触れたのは、今にして思えば、学生時代に村上龍氏の『愛と幻想のファシズム』を読んだ時だったのではなかったかと思います。

今手元に本がないので確かめようがないのですが、たしか以下のようなことが書かれていたはずです

「才能とは欠落である」

たしか話の中に、独特の色使いで話題のアニメーターという人が出てくるのですが、主人公は彼の作品を一瞥して「お前、色盲だろ」と言い当ててしまいます。

普通、才能とは人格の上に何かがプラスアルファとして加わった状態のように思われがちですが、村上氏によれば才能とは逆に何かが欠落した状態だと書かれていました。

これは、僕自身の言葉で言えば、才能とはコンプレックスである、という風に言い換えられます。今回は、才能と欠落感について、長年思っていることを書いてみました。

目次

  • テレビをまったく見せてもらえなかった
  • 「英語ができていいですね」
  • 「ピアノが弾けていいですね」
  • 「野球うまいですね」
  • 河合兄弟の場合
  • 子規と秋山真之の場合
  • 英語との腐れ縁について
  • 劣等感の第二の源
  • 復活から現在まで
  • 成功とは欠落である

テレビをまったく見せてもらえなかった

まずは、僕自身の心の歪みを例に挙げてみます。

僕は子供時代から大学受験やその後に至るまで国語の「現代文」で間違えた記憶が1度もないのですが、これは決して生まれ持っての能力ではなく、ただ単に子供時代にテレビを見せてもらえなかったことの結果です。

日が暮れたら小学校の図書室で借りてきた本をひたすら読む以外にやることがなかったから、そういうそういう体質になってしまったのでした。

テレビが見られないというのは、親の愛情から出た教育的しつけのような立派なものではありません。

単に僕のオヤジが打つ買うの二拍子+テレビ狂で、家に1台しかないテレビを一日中占領していたので、そういう風になってしまったんですよね。

今でも実家に帰ると当時と全く変わらず、父は、起きてから寝るまでひたすらテレビにかじりついています。それを見て育った子供2人は、テレビを見ないで、わりに勉強する人に育ってしまいました。

元々僕らの出来が良かったのではなく、単なる父への嫌悪感と反抗心から生じたエネルギーによるものだと思います。

ちなみに、我が家にはテレビ以外には家にはラジカセすらありませんでした。

ラジカセと言っても、今では何のことかわからないかもしれませんが、これはラジオを聴けて、なおかつそのラジオ音声をカセットテープというものに録音して何度でも再生できるという夢のようなマシンなんです。

わが家にラジカセというものが入ってきたのが、僕が小学校5年生の時でした。それも親せきからお古のモノラルラジカセをもらってきたのが最初でした。でも僕はおフルでも狂喜しましたけどw

でもまあ、小5まではなかったわけです。

父は日が暮れたら、完全にテレビを占領して、子供たちはおろか、母にも、祖父母にもいっさいチャンネル権を与えることなくひたすら自分のテレビ世界に没頭している身勝手な子供のような人でした(です:現在進行中)。

したがって、僕には、学校で借りてきた本を読む以外に時間を過ごす方法がなく、
小2~小6まで毎日1冊ずつ読んでいました。そのせいで、僕は、国語の現代文で間違えるという現象が生じなくなったのでした。

そりゃあ、それだけ読んでいればですね、現代文は課題も設問も全部日本語で書かれているわけですから、間違える要素はなくなるわけですよ。

その代わり代償はありました。
当時の流行りの音楽や、ギャクや、ドラマに全くついていけなくなったんです。

そういうものは思春期の大事な要素だと思うのですが、それが全く欠落してしまったんですよね。

修学旅行のバスの中で同級生たちが当時はやっていた「涙のリクエスト」や「ルビーの指輪」を当たり前のように大合唱している中で、その曲を初めて聞く僕は、ひきつった顔で口パクしているしかありませんでした。

さて以上は、”才能”というほどのものでもありませんが、とにかく現代文を一切間違えないという一種の特殊能力は負の体験から生じるものだという一例として挙げておきます。

そこから類推して、世の中でたぐいまれな才能を発揮しているように見える人は、僕から見ればそれだけ深いトラウマというかコンプレックスというか欠落感を抱えた経験の裏返しとして、そういう風になってしまっている人のように見えます。

英語ができていいですね

英語(語学)も同じように考えられます。

僕は英語を仕事にしているので「英語ができていいですね」とときどき言われることがあります。まあ一応卒ない返事をするようにしているのですが、本音はまったく違います。

ごくごく親しい人に対してはまったく別な答え方をしています。そのあたりに関してもここでは、本当に思っていることを書いてようと思います。

ピアノが弾けていいですね

さきほどから書いているように、物事を達成するために必要な要素は、その物事が好きかどうか、あこがれているかどうかではなく、そこに深いコンプレックスを抱いているかどうかではないかと、長年僕は考えています。

ですから親しい人に「英語ができていいですね」と言われた場合に僕がどう風に答えるかと言うと・・・

“ピアノを軽々と弾いている人に「ピアノが弾けていいですね」と言ったらどう感じると思う?”

と言い

(冗談じゃない。あんだけ練習してこの程度か)ってきっと思っていると思うよ。

という風に答えます。

軽々とピアノを弾けるような人は、おそらく3歳のころからピアノを始めて、小中高とやり続け、音大を目指し、やがては世界的なピアニストになってやろう、というくらいの気合でひたすら練習を続け、そして挫折した人たちのはずです。だからこそ、今さりげなく即興で弾けているはずなのです。

僕は音楽を聴くのが好きですが楽器が弾けません。ですからピアノが弾ける人に対しては「あこがれ」があります。

でも、3歳からピアノを練習しまくっている人の人生には、楽器が弾けることに対するあこがれはないと思います。

3歳からピアノを習い始める人は数えきれないほどいるはずですが、ほとんどの人は途中で止めます。そして、なぜだか知らないけど一握りの人だけが一生涯弾き続けるという運命をたどります。

それは、親にほめられたかったからかもしれないし、元々まじめすぎて辞めると言い出せなかっただけかもしれません。あるいは、たまたま才能があることを認められてそういうコースに乗せられてしまって後に引けなくなったという場合もあるでしょう。

理由はいろいろでしょうが、いずれにしろ、気づいたころにはピアノと切り離せない人生を歩むことになってしまっていたはずです。

さらにその限られた「ピアノと心中した人」の中ですら、世界的ミュージシャンになるのはさらにごくごくわずかであり、残りの人は音大の先生になったり、スタジオミュージシャンになったり、田舎でピアノ教室をやったり、主婦業の傍らでときどきアマチュアコンサートに出たりすることになります。別にやりたくもないピアノに一生をささげた結果が、バーのピアノ弾きだったりするわけです。

昨年、あるペンションに留まったのですが、そこの女主人が夕食の時間にレストランでジャズピアノを披露してくれました。僕自身はまったく楽器は弾けないのですが、聴くだけは相当聞いてきたので、その人が「3歳からずっと弾いてきた中の1人」だということくらいはわかりました。つまり元プロかセミプロで、なんらかの理由で演奏活動を断念して、それで今はペンション経営の傍らで昔の腕を披露しているんだな、とわかりました。

野球うまいですね

野球だって同じですよね。

田舎のリトルリーグの監督でやたらとうまい人がいたとすれば、その人は決して「野球が好きでやっているうちに自然にうまくなった人」ではなくて、かつてはプロか甲子園を目指して死ぬほど練習した時期があり、そして挫折した人のはずです。挫折はしたけれども離れることができなくて、田舎でコーチをやっているのでしょう。

その人に「野球うまいですね」と言ったとしても

本人にしてみれば、人生の大部分の時間を注ぎ込んでバットを振り続けた結果が「たったのこれだけかよ!」と思っているはずです。

くやしさと苦い思い出がほとんどでしょう。

僕の英語も同じです。すでに人に言うのが恥ずかしいくらいの時間をつぎ込んできましたが、それは別に語学が好きだったわけでもなく、英語へのあこがれもありませんでした。単なる成り行きである程度まで行ってしまい、あとは留学中に味わった「くやしさ」が原動力になって辞められなくなっているだけです。

以上の考え方、つまり何かを極めるということは、コンプレックスの反動であるという考え方について有名人の例を2つ取り上げてさらに考えてみたいと思います。

河合兄弟の場合

まずはバレーボールの河合兄弟です。

かつて実業団のフジフィルムに所属し、日本代表屈指のアタッカーだった河合俊一さんには、弟さんがいます。そして弟さんも実はお兄さんを越える才能を持つ優秀なバレーボール選手だったそうです。

「バレーでは弟にはかなわなかった」、とかつて河合俊一さんがどこかで語っているのを読みました。

たとえば、新しい技を教えられると、弟さんはさっと身につけて、遊びに行ってしまうんだそうです。

ところが俊一さん本人はヘタで、いくらがんばっても弟と同じ技が身に付かないので、居残りして繰り返し練習したそうです。

ところがその弟さんが怪我で現役生活がままなくなり、気が付けば自分(俊一さん)が全日本に選ばれていたんだよね~と語っていました。

この場合のウマいヘタは、客観的な意味ではありません。

世間的に見れば、河合兄弟は二人とも極度にウマいバレーボール選手だったと思います。しかし、アニキの俊一さんの視点から見れば、「弟にはどうしても勝てない・・・俺はヘタだ」というコンプレックスの塊だったということです。

俊一さんが結局全日本に残ることになった最大の決め手は、極度にウマい河合兄弟としての自負心ではなく、「弟にどうしても勝てない」という劣等感に根差したエネルギーにあると思います。

何かを極めるには、このような、主観的な苦手意識と言いますか、コンプレックスというか、心の傷のようなものが原動力になると僕は思っています。

子規と秋山真之の場合

『坂の上の雲』を読んだ限りでの子規と秋山真之の関係も河合兄弟と似たようなものに思えます。

若干うろ覚えですが、秋山真之は最初から文章がうまかったそうです。一方、子規は最初かなり下手くそだったようです。

ところが秋山は兵学の世界に進み、現在文学的な評価はありません。「天気晴朗なれども波高し」は有名ですが、後輩の河東碧梧桐によれば「あんなのは海図に引いたインクの染み」みたいなものだと言下に否定されています。

逆に近代の文学運動を大きく推進したのは、最初ヘタだった子規のほうでした。ヘタとは言っても、どうしようもないほどヘタだったわけではないと思われますが、自分は下手だと思っていたのでしょう。

英語との腐れ縁について

さて、僕自身は今でこそ英語を仕事にしていますが、中学一年でさっそくつまづいてしまい、他の教科にくらべてあまりに落ち込みがひどいので英語だけの塾に通うことになりました。

それでまあなんとかなったのですが、その頃の苦手意識は今でもどこかに残っています。その苦手意識が「やらなくちゃ、やらなくちゃ」という終わりのない焦燥感の”第一の源”になっています。

英語との腐れ縁はその後も続きました。

大学時代には、実験心理学か、哲学を本気で志望していたのですが、親に反対されて、とりあえずつぶしが聞くからという理由で英文科に行くことになりました。

ただし、あとで別な学科に編入しようという思惑がありました。ところが哲学に進むか心理学に進むか、悩みに悩んだ末に思い切って心理学に決めて編入届を出したちょうとその時期に、たまたま心理学科に急な人事異動があったそうで定員が突如一杯となり、編入が却下されてそのまま英文科に舞い戻ったのでした。

また、その後、留学もしたのですが、別に行きたかったわけではなく、なかなか教員のポストが見つからないところに、保険のつもりで申請していた奨学金に受かってしまって、周囲から「おめでとう」と言われて「行きません」とは言えなくなって成り行きで行っただけです。

その証拠に、僕はカンザス大なんていうド田舎の州立大に留学していますが、そんなド田舎に留学した奇特な奴は僕の周囲には誰もいません。

みんなしっかり準備して、ハーバードやオクスフォード、ケンブリッジに行き、有名教授に師事しています。

僕はシャレで応募していたので、志望先すらまともに調べておらず、セントアンドリュース(ゴルフ場で有名)とかトロント大学(クローネンバーグ監督の母校)など、思いつくまま適当に記入していました。カンザスも知り合いの先生(アメリカ人)が「カンザスよかったよ」といったのでそのまま書いただけで、どこにあるのかも知りませんでした。

それでも、まあ田舎の大学だからそこそこはやれるだろうと自信を持って留学に臨んだのですが、実際には自信を打ち砕かれて鬱の初期まで行きました。

劣等感の第二の源

今でも僕自身が英語稼業から離れることができない劣等感の”第二の源”は、これです。

僕が留学した2000年の秋学期のカンザス大には、学部、院生を含め、海外からの新しい留学生が合計250名前後いました。その中で、学内の英語学校に送り込まれることなく、直接大学院に進めたのは1名だけです。

それは、TOEFLのスコアが大学院で要求されるレベルを余裕で超えていたからです。

通達が来て、英語学校の校長と直接インタビューして許可をもらえば、英語学校はパスして直接大学院の修士コースに入ってよいとのことでした。

「まあ、当然だろ」・・・という感じの僕。

それで面接に臨み、まあ無事にOKをもらったのですが、最後に女性校長にこう言われました。

「あなたは自分で英語ができると思っているでしょうけど、英文科ではそのくらいのレベルでは通用しないわよ」と。

その時は、「嫌味なやっちゃな~」くらいにしか思っていなかったのですが、やがて、その通りだということを身に染みて感じさせられることとなりました。

今考えてみれば、まあ、それはそうなんですよ。

米国の英文科と言うのは、日本で言えば、国文科みたいなものです。
国文科の大学院と言えば、源氏物語や万葉集のマニアが集まっている場所です。普通に日本語ができる程度の日本人では歯が立ちません。
まして日常会話がやっとという外国人がどうなるというものでもありません。

これは英文科も同じです

いくらド田舎のカンザスと言えど、一応は州立大の英文科大学院ですから、英語学校の校長の予言通り、僕の実力では全く通用しませんでした。

というか、第1回の授業で完全に打ちのめされました。

ちょうどその日はブッシュとゴアの大統領選挙の投票翌日で、院生たちも授業中に政治的な話を、粋なジョークを交えて語るわ語るわ・・・でも僕には何をしゃべっているのか90%以上わかりませんでした。

相づちすら打てないんです。

大学院生の中に幼稚園児がただ1人混じっている心境です。

なさけない・・・。
あれだけ日本でやってきた結果が、幼稚園児レベルか・・・。

やがて、その失意と、慣れない環境からくるストレスとで完全に参ってしまい、とうとう1週間寮の部屋に引きこもって、酒を飲んで過ごしてしまったこともあります。

復活から現在まで

それでもなんとか授業には出ていました。
そして、ある日の午後、教室からとぼとぼと寮に向かって歩いていたときのことです。

途中の駐車場を横切ろうとステップを降りた瞬間に突如ひらめきが降りてきたんです。

「あいつら全員、必ず英語力で追い越してやろう」

あいつらというのは、当時の同級生だった英文科のアメリカ人の院生のことです。死ぬまでに必ずこいつら全員を英語力で追い越してやろうと思ったのです。

まあ普通に考えれば無理ですよね・・・

でも、そう思った瞬間に、周囲の風景が急にサーっとカラーに戻ったんですよ。
・・・というか、むしろ、それまではモノクロだったのか!という驚きの方が大きかったのですけど。。。

気づかないうちに、風景がだんだんモノクロームになっていたらしいんです。
おそらく、鬱の一歩手前まで行っていたのでしょうね。

危なかったと思います。

しかし「全員やっつけてやろう」という生涯の目標ができたことでなんとか立ち直ることができました。

別に当時の同級生に恨みがあるわけではないのですが、「必ず追い越す」と決心したことによって、かろうじて自我を保つことができた僕は、今だにこの目標を継続しています。

こういう風に何かを一生やり続けるモチベーションには、何かこう多少病的なものというか、トラウマというか、欠落感というか、コンプレックス的なものがあるのではないかな、と考えています。

成功とは欠落である

なにかそうした自分の存在を脅かす劣等感のようなモノが原動力になければ壁を打ち破れるだけのエネルギーは得られないのはないでしょうか。

ビジネスで成功している人を見ていても同じように感じます。

昔なら「食べ物がなくて苦しい」とか「お金がなくてつらい」とか
または今であれば「人に認めてもらえない」といった飢餓感が爆発してエネルギーになって壁を突破している人が多いように見えます

「お金持ちになれればいいな・・」という何となくほんわかしたあこがれで成功している人はいないように見えます。

これは「ピアノが弾ければいいな」とか「英語がペラペラになれればいいな」みたいな単なる「あこがれ」でピアノが弾けたり英語がデキたりしないのと同じだと思います。

こういう人に僕がかつてやっていたトレーニングメニューの1/3を課しても続いたためしがありません。

余談ですが、これが僕が英語教育を嫌になった理由でもあり、また、結局「語学は独学である」という信念を抱き続けている理由でもあります。

逆に言えば、たとえどの分野であれ本当に成功したいのであれば、どうしようもない切迫感や欠落感を抱いていなければ、最初の分厚い壁を突破することができないのではないかと思います。

だから世間でいわゆる「成功している」と言われる人を見るにつけ、「ああ、人一倍劣等感や欠落感が大きかった人なんだな」と思ってみています。

僕自身はビジネスに対してそこまでの欠落感も劣等感もないので成功できる見込みはかなり乏しいと思われます。ただし、過去に潜り抜けた欠落感や劣等感に比べれば、まだまだ、まったくお話にもならない程度のヌルゲーしか経験していません。

それでも、当面のところうまくいくまで辞めることは考えていませんので、いずれどうにもならない壁にぶち当たり、そこでたとえどんな手を使ってでも何とかしてやろうという気になる日が、遅かれ早かれやって来るのではないだろうかと思っています。

ABOUTこの記事をかいた人

松山市生まれ、埼玉県在住 京大大学院博士課程中退 カンザス大学修士号 元短大教員 元警備員 元ITエンジニア 現在はウェブ翻訳家 以前は短期大学で常勤講師をやっていました。一生その路線で行くつもりだったのですが、思うところあって退職。その後は、コンビニのバイトを面接で落とされたり、警備員をやって深夜の霊園に怯えたり、ITエンジニアをやったりと迷走しつつ、現在はウェブ翻訳家に落ち着いています。