無職の人は今すぐ在宅ワーカーの”肩書”を作ってしまいましょう ― 一生使い回せます

ネットで、誰でも今すぐに在宅ワーカーになれる時代です。 無職の人はさっさと在宅のフリーランスになって「肩書だけ」作ってしまいましょう。 無職を名乗るのは心理的にきついし、メリットはなにもありません。 在宅ワーカーの肩書は一生使いまわすことができます。
以下の記事は、在宅のPC作業者として経験に基づいた、肩書にとらわれない生き方の提案です。

目次

  • 世の中の肩書には2種類ある
  • フリーランスの肩書は本当にラク
  • 映画監督は映画を撮らなくても”元”監督にならない
  • 在宅ワーカーが仕事をしているかどうかは本人にしかわからない
  • フリーランスの肩書は取り扱い方次第
  • 結論:無職の人は今すぐ在宅ワーカーになりましょう

世の中の肩書には2種類ある

ゆる子ゆる雄Aです。こんにちは。

ゆる子Aの考えでは肩書には2種類あると思っています。”元”が付く肩書と付かない肩書です。

たとえば、「○○物産部長」という肩書は、
定年を迎えれば「元○○物産部長」に変わります。
つまり、この肩書には賞味期限があります。

政治家も選挙に落ちれば元議員になります。

しかし、元をつけなくていい肩書もあります。たとえば、在宅のPC作業者の肩書には賞味期限がありません。翻訳家もそうです。作家も、ライターも、漫画家も、イラストレーターもそうです。。

なぜなら、在宅ワーカーだけではありませんが、人に見られないところでひとりで働いている職業はみな同じで、働いているか働いていないかは本人にしかわからないからです。

そうした肩書を手に入れておくと便利な社会的アリバイとして一生機能してくれます。

その点が、自宅でのPC作業者のいいところだと思います。 たとえば、ニートの人が一度ネットで記事を書いて、報酬が500円でも発生すれば、 一生ライターを名乗れます。無職でもニートでもなくなります。

これは、僕の経験から言っても、社会的、心理的にかなりラクです。

フリーランスの肩書は社会的にラク

そもそも、ゆる子Aが在宅でフリーランスの翻訳家になろうと思ったのは、働いていても働いていなくても社会で通用する肩書が欲しかったという理由が大きいです。

「元・・・」がつかないような職業について、働いても働かなくても社会で通用するアリバイが欲しかったのです。

そうすれば、ある程度自由に生きていけるという目論見でしたが、実際、やってみるとそのとおりでした。

僕も、駆け出しのころは仕事はあまり来ませんでした。1か月くらい案件が来ないことはざらでした。

でも、親せきや、近所の人や、ちょっとした知り合いから、職業を聞かれることはよくありました。

そういうときは 「翻訳をやってます」 と答えていました
(ホントはプチ無職の場合もある)。

「ほお、そうですか」 とかなんとか返事が返ってきます。

それで終わりです。
実際にやっているかどうかは相手にはわからないし、そんな興味もありません。 この国では「大人(特に男性)は働いていて一人前」という価値観が根付いているのでなんとなく聞いてくる場合がほとんどだと思います。

無職と答えると相手も答えに困るし、ちょっとしたことで面倒くさいです。

そういう社会を、ゆるく渡っていくには、このやり方はかなり便利だと思っています。

映画監督は映画を撮らなくても”元”監督にはならない

以上のようなことを考えるようになったきっかけは、
テレビで井筒和幸監督を見たことでした。

そのころ、ゆる子Aは教員を辞め、 ITエンジニアを辞め、
元教員、元エンジニアの 無職のプチ引きこもりでした。

なんとかして社会に居場所を見つけてラクになりたいと思っていました。

そのとき、テレビで井筒和幸監督が、他の出演者から
「監督、監督」とさかんに呼ばれているの見て思いました。

「この人はもう何年も映画を公開していないのに
“監督”って呼んでもらえるんだな・・・」と。

山本晋也監督もそうですよね。
90年代以降映画は撮ってないようです。
(今、Wikipediaで確認しました。)

それでもテレビに出れば「監督」と呼ばれます。

僕が大好きな登山家で、山野井泰史さんという人がいます。
世界的に有名な登山家です。

著書に『垂直の記憶』と『アルピニズムと死』があります。

あまりに好きなのでいつか語りたいのですが、
それはともかく、彼のブログを見ていると
「今年はまったく仕事をしなかった」などと平気で書かれています。

奥多摩で自給自足に近いような生活をされているようです。

実際にヒマラヤなどにアタックするのは数年に一回のようです。
それまでの数年は準備期間ですね。

どのルートを選ぶか、装備をどれくらいにするか、 頭の中では構想を練っているし、トレーニングもさかんにされているのでしょうが、
周囲からはぶらぶらしている中年にしか見えないかもしれません。

それでも山野井さんを 無職のオヤジと呼ぶ人はだれもいません。

世界的なアルピニストです。

こういう職業というか社会的なアリバイのようなものを手に入れることが
社会的な自由度を上げる一つの手段になるのではないか、と僕は考えています。

ゆる子Aの場合は、登山はやれないので、自分にやれそうなことを探したら、
翻訳でした。

勤務中かどうかは本人にしかわからない

作家の村上龍氏は、「作家は最後の職業だ」とよく言っています。

「死刑囚になっても作家にはなれる」からだそうです。

たしかに、90年代には、作家で死刑囚の永山則夫という人がいました。
(連続ピストル射殺事件を起こして死刑判決を受け97年執行。)

代表作は『無知の涙

刑務所に入っていても、次の作品の構想を練っていれば作家だと言えると思います。脳内作業は誰にも見えませんから、わざわざ元作家と名乗る必要はありません。

在宅ワークも作家と似ていて、その魅力のひとつは、仕事をしているかしていないかが、本人にしかわからないという点にあると思います。

一方で、社会で見える場所で働いている人たちは、目に見える活動がなくなると元○○になってしまいます。
事務所から解雇されたタレントさんも
引退したアスリートも
退職した会社員も
落選した政治家も、みなさんそうです。元○○になってしまいます。

その点、作家さんなら10年書いていなくても「構想中」で通用します。
これは、作家でなくても、一人で働いている人なら書道家でもPC作業者でも、同じです。

ゆる子Aも、ある程度翻訳でやっていける実績が付いた時には「もうこれでポジション的には一生安泰だ」と思いました。

一生、翻訳家を名乗っていこうと。。。

フリーランスの肩書は取り扱い方次第

ですので、もし今ニートや無職と名乗って肩身の狭い思いをしている人がいれば、 とりあえず、PCで作業できる仕事をめざしてみるのがおすすめです。

なんでもいいと思います。それでとりあえずライターと名乗っておくと
いろいろ便利だと思います。

ちなみに秋元康氏は、AKB48のプロデュースを始めとして多彩な活動をしておられますが、常に「作詞家」と名乗っていると言っていました。

逆に、高城剛氏は、 ハイパーメディアクリエイターと名乗ったことでずいぶん損をしたと思います。 現在は「ライター」と名乗られています。ちなみに、
ゆる子Aは高城剛氏が結構好きで、彼のトークライブにも2回足を運んでいます(たぶん2回しか開催されていない)。

以上をまとめますと、フリーランスの肩書というのは扱い方次第でどうにでもなるものですが、扱いを間違えれば結構面倒くさいものでもあります。

結論:無職の人は今すぐ在宅ワーカーの「肩書だけ」作りましょう

ゆる子Aの主張としては、「無職の人はさっさと在宅のフリーランスになってしまいましょう」ということです。今は、誰でも簡単にネットにアクセスできる時代ですので、今すぐにでも在宅ワーカーは始められます。無職を名乗るメリットはなにもありません。

ゆる子A自身は、翻訳家と名乗り始めてから肩書とか社会的なポジションがストレスになることはなくなりました。在宅ワーカーなら同業者と会うこともほとんどありませんので、誰と比較されることもありません。

そうした経験から考えても、フリーランスの在宅ワーカーは得だと思います。
そのあたりを戦略的に考えておけば、社会からつかず離れず、無駄な争いに巻き込まれることなく、生きていけると思っています。