4月12日(金)、某医大付属病院で精密検査を受けました。
前立腺がんの疑いがあったのですが、結果は大丈夫とのことでした。
(ただし、7月に再検査を予定しています)。
「要精密検査」の通知を受け取ったのが4月11日(木)の夜。検査を終えて病院を出たのが翌12日(金)の午後2時。その間わずか17時間でしたが、自分の死についてずいぶん考えました。
記憶が薄れないうちに*、その間の心境をここに記しておきます。
* * *
*この文章の大部分は4月上旬に書いた後、没にしていたものです。 後半には、やや軽はずみな部分があります。それが、 現在闘病中の方の気持ちを逆なでするようなものになることを恐れました。
検査当日に、演出家の宮本亜門さんが前立腺がんを公表されたという偶然も少なからず影響があったと思います。
* * *
僕にとって、今回の精密検査は、「死の準備」のリハーサルを本気でやれた、という点に大きな意味がありました。
自分が死に直面したら、一体何を考え、どう行動するのかがよくわかりました。
しかし、こういう経験ができること自体、 現代の予防医学の発達の成果であり、大変ありがたいことだと思っています。
目次
- とうとうその日がやってきた
- 妻への甘え
- 深夜の反抗
- あっけない診断結果
- 桜の散る公園
- 「死の準備」のリハーサル
- ロシアンルーレットの1発目
とうとうその日がやってきた
僕は、毎年3月に半日ドックのような検診を受けています。今年も受診して、診断結果は4月に郵送で送られてきました。毎年、青い大きな封筒で送られてきます。
ただし、 今年受け取った青い封筒には、 これまでとは違って、 診断結果表以外に茶色い小さな封筒が入っていました。
見ると、「推薦状」と書かれています。
あわてて検査結果を確認したところ、これまでずっと正常値だった腫瘍マーカーPSAの数値が10倍を超えて跳ね上がっていることがわかりました。
「至急、精密検査を受けるように」との指示とともに、専門病院のリストが同封されています。
すぐにネットで調べました。
かなり権威のあるサイトによれば、
50代でこの数値(10.0前後)ならば、悪性腫瘍である確率は60%程度とのこと。
さらに、単なる前立腺肥大と悪性腫瘍との見分け方として、前者の数値が数年かけて徐々に上がっていく傾向があるのに対し、後者の場合は、一気に数値が上がる傾向がある、とも書かれていました。
これを読んだ時点で、僕は「どうやらダメらしい」と思いました。
「検査ミスなんじゃないか」とか「たまたま調子が悪かっただけなんじゃないか」などという思いもよぎっていたのですが、これを読んだ時点で、「無理に良い方に考えるのは空しい」という考えに切り替わりました。
これは、かつて母が末期のすい臓がんで、余命1カ月と診断されたときの経験が強く影響していると思います。
当時の僕は、ひたすらあきらめが悪く、最後の最後まで良い方に考えようとし、無駄な努力をひたすら重ねた挙句、たまりかねたホスピスの医師にたしなめられたほどでした。
その当時の経験が、「無理に良い方に考えるのは空しい」という形でよみがえったのだと思います。
そして「こういう風にあっけなく終わる人生だったのか・・・意外だったな」と
考えました。
続いて浮かんできた考えは、
「もうちょっと未来を見たかった、残念だな」というものです。
今後、デジタルがさらに進歩して、社会に大きな変化が起こるだろうと思っていましたので・・・できればもうちょっとそのあたりを覗いてみたかった・・・残念だな、という思いです。
さらに、このブログのことも一瞬考えました。
このブログは「看板は出したものの、まだスープのでき上っていないラーメン屋」みたいな場所です。
始めたばかりなのにもう終わるのか、と。
ちょうど新しい記事が出来上がりかけていたのですが、もうそんなものはどうでもいい。さっさと閉鎖しよう。
以上のようなことを、最初に考えました。
僕には子どももいないし、妻は自立していますので、家族への心配は一切心に浮かびませんでした。
一番強く思ったのは、これ以上未来を見られらないことへの残念さでした。
妻への甘え
次に、帰宅した妻にあらましを説明し、明日の朝一で大学病院に検査に行く予定を伝えました。
しかし、彼女は、良い方に、良い方に考えようとします。
たまたまだったのではないか・・・
その日調子がおかしかっただけなのではないか・・・
検査ミスかもしれない、などなど。
僕は、それを遮って、ミスター長嶋茂雄の話をしました。
ミスターは、打席に入るたびに2種類のボールの軌道をイメージしていたのだそうです。
一つはホームランコース。
もう一つは、頭部に直撃するデッドボールのコース。
この2つをイメージしておけば、いい球が来ればバットが出るし、最悪のボールが来てもギリギリ反応できる(避けられる)のだそうです。
最善と最悪の場合を明確にイメージしておくというこの考え方を、僕は気に入っています。
ミスターのやり方を今回の精密検査に当てはめて考えるなら、ホームランコースをイメージする必要はない、と僕は妻に言いました。
なぜなら、その場合は「ああ助かった」と思って喜べばいいだけだからです。
ただし、デッドボールに備えておく必要はある。
入院となればがっくりしている暇はないし、やらなければならないことは多い。だから、最悪の場合を考えて話をしよう、と言いました。
ただし、今振り返れば、こういう説をぶっている時点で、妻に甘えていたんだと思います。
高倉健さんみたいな人なら「明日ちょっと病院に行ってくるよ」くらいしか言わないでしょう。何もわかっていない段階で、余計な心配を家族に掛けたくないと思うはずです。
しかし、僕はミスター論をぶち、さらに以下のような、かなり気の早い遺言まで伝えました。
これは、家族に心配をかけまいという優しさよりも、自分の不安を誰かに共有してもらいたいという気持が勝ったのだと思います。
そして、今から闘病に立ち向かって行く自分の気持ちを鼓舞したかった、ということもあります。
僕は以下のことを言いました。
まず、君の家族や親せきに余計な迷惑をかけたくはないので、悪性と判断され次第、できるだけ早く荷物を整理して四国に返って入院するつもりであること。
いろいろな治療があるだろうし、できるだけ頑張るけれども、万一死んだ場合は、できるだけ小さな葬儀にしてほしいこと。そして、 父と弟夫妻以外は呼ばなくていいこと 。
戒名はいらないこと。その点で家族と揉めた場合は、僕の遺言だと言ってできるだけ突っ張ってほしいこと。
納骨するなら母が入っている方の墓に入れてほしいが、ゆくゆくは管理が大変になるだろうから、弟と相談して、早めに永代供養に切り替えてもらってかまわない。
僕は成仏できる自信があるので、その点はまったく心配しなくていい。
キミは自分の収入で生活できるし、両親も近くにいるし、子どももいないので、生活の心配はしていない。
死そのものに対しては何の感慨もないが、これから面白くなっていきそうな世の中を見られなかったことだけがとても心残りだ。
まさかこんなあっけない終わり方になるとは思わなかったけれど、まあ、みんなこんなものなのだろう。
そういうことを伝えました。
繰り返しになりますが、まだ精密検査すら受けていない段階でわざわざこういうことを言うのは、甘えが入っていたと同時に、なんとか自分を鼓舞しようとしていたのだと思います。
深夜の反抗
それから深夜の翻訳作業に入りました。翌日からの仕事はキャンセルするつもりでしたが、どうしても明日中に納品しなければならない案件が残っていたんです。
もちろん、集中できません。
こんなタイミングで仕事を受けてしまった自分に腹を立てながら、なんとか午前3時までに作業を終了して、電気を消してベッドに入りました。
でも、このあたりで、なぜか「このまま終わってたまるか」というような、反抗心のようなものがむくむくと生じてきたんですよね。
それで、再度明かりをつけて、パソコンを開き、朝まで掛かってブログ記事を1つアップしました。
それが、
翻訳で稼ぐ方法(その1) – 翻訳は副業に最適
です。
もし入院することになっていれば、もはや何の意味も持たない記事ですが、意地になって朝まで書き続けました。
あっけない診断結果
そのまま、推薦状を携えて、もよりの大学病院へと向かいました。
ところで、あの日アップしたブログ記事は、最初かなり情緒的な文章になっていたような気がします。しかし、泌尿器科の待合室で、たっぷり時間があったので、スマホを使って訂正し、ある程度ドライな文体に直しました。
その後、ようやく名前を呼ばれて診察室に入ると、
初対面のドクターは、気のせいかうっすら余裕の笑みを浮かべているように見えました。気のせいだったのかもしれませんが。
そのドクターとの最初のやり取りは、
血液検査やります?どうします?
2時間くらいあれば結果は出ますけど、今日中に聞いて帰ります?
お時間大丈夫ですか?
と、こんな感じでした。
まるでズボンの直しを頼んでいるかのようなやり取りです。
しかし「お時間大丈夫」って言われてもですね・・・
そもそも、僕に「お時間」が残されているかどうかは、
検査の結果次第のような気がします。
こちらは、戒名から成仏のことまで考えた上で、決死の覚悟で参上しているわけです。
どうしますって・・・もちろん受けます!と答えて、採血を行い、それから2時間、結果を待ちました。
検査結果は、7.9と出ました。(正常値は4.0以下です)
「まだ高いですが、下がっているので問題ないでしょう」というのがドクターの所見です。一応、ほっとしました。
しかし「どうします?3カ月後にまた一応検査してみます?」
とふたたびカジュアルに聞かれてしまったので
「今すぐ精密検査する必要はないんでしょうか?」と詰め寄りました。
それに対して、ドクターは、実に言いにくそうに
「この数値には結構、炎症の影響が残りますからねえ・・・射精とかですねぇ・・・」といったんですよ。
そこでようやく、ドクターの余裕の意味がわかりました。
そうか、この人は最初から、僕のことを、単なる射精マンだと思っていたのか。。。恥ずかしい。それがあの笑い*だったのか・・・。
そそくさと「・・・3か月後によろしくお願いいたします。」
と答えて、できるだけすばやく診察室を後にしました。
(*註:後から思えば、ドクターのうっすらと笑った表情は、別に射精マンを笑っていたわけではなく、血相を変えて訪ねてきた患者を安心させようという職業的良心から出たものだったのだと思います。)
桜の散る公園
以上のように書くとまるで、面白話みたいになってしまいますが、僕自身は「とりあえず助かった」という気持ちが強かったですね。
命さえ助かるのならば、射精マンでも何でも全然OKです。
もしも神様が表れて「渋谷ハチ公前で”僕は射精マン”って100回大声で叫んだら、ガンを取り除いてやろう」と言われとしたら、ためらわずに100回叫びますよ。たとえ警察のご厄介になるとしても。
抗がん剤や、手術や、余命宣告に比べれば、射精マンなんかどうでもいい・・・
僕だけでなく、患者さんは、全員そうだと思います。
「とにかく今回は助かった」と思いながら、帰途、近所の公園を通るとサクラが咲いていました。
生まれてこの方、僕は桜をきれいだと思ったことは一度もありません。
非国民と言われても仕方のない感性だと常々思っています。
しかし、その時、桜の花びらが散っている姿を見て、生まれて初めて感慨が迫ってきました
思わず立ち止まり、ポケットからスマホを出して、見上げて写真を撮りました。

撮った後でしばらくして、「構図が悪いな・・・ブログで使うかもしれないから、格好よく取り直そう」とも思ったのですが、結局やめました。
この画像だけが本物だからです。
しかし、あれですね・・・
桜は散るからこそ桜なんですね・・・
はじめてわかりました
で・・・翌日に宮本亜門さんの前立腺がんのニュースに接したわけですが、
彼は、運がいいと思います。
通常の検査だけでは見つからなかった腫瘍が、別の検査でたまたま見つかるっていうパターンを時々聞きますけど、こういう人は大体生き運が強いように思います。
「死の準備」のリハーサル
というわけで、今回の僕は、戒名まで考えた挙句に、単なる射精マンに過ぎないことがわかったわけです。
しかし、「死の準備」のリハーサルを本気でやれた貴重な経験でした。
また・・・
今回の僕と似たような体験をした人、つまり、 一時は最悪の事態を想定して、いろいろ考えたけれども結局助かった、という人が、思ったよりたくさん周囲にいることがわかりました。
そのうちの1人が親せきの男性で、彼は胃がんの疑いで精密検査をうけて、無事だったという人です。
一杯やったときにその話になったことがあります。
「その時は、いろいろ考えましたよ」とボソッと彼は言いました。
小学生の子どもが2人いて、住宅ローンも残っているという状況で、本当にいろいろ考えることがあっただろうと思います。
そんなリハーサルはごめんこうむると思う人もいるでしょうが、僕はやれてよかったと思います。
いずれ本番がやってきた時には、今回よりはましな対応ができるでしょう。
ロシアンルーレットの1発目
今回もう一つ考えたことがあります。
僕は今回助かりましたが、「本当に」助かったという気はしていません。
一年一年、年齢を重ねるごとにリスクが上がっていくのは間違いありませんので、一発撃つたびに少しずつ実弾に近づいていくロシアンルーレットのようなものだな、と感じています。
このロシアンルーレットの一発目が空だった、というような感覚です。
精密検査の機会は、またいずれやって来るでしょう。
そして、次回も空砲で終わるかどうかは分かりません。
もちろん、この拳銃は、映画『ディアハンター』のような6連発式だとは限らず、10連発かもしれないし、15連発かもしれません。ひょっとすると20連発なんていう可能性もあるかもしれません。
それでも、最後に実弾が残ることだけは間違いないんですよね。
そういうことを考えました。
* * *
最後は、少し明るい話で締めくくっておきます。
今の若い人にとっては、僕たちの世代とは事情が異なるかもしれません。
今、医学が飛躍的に進歩しているようですから、10代や20代から必要なケアを怠らないとともに、余計なストレスを回避することができれば、これからの時代は、従来の常識では考えられないほどの長寿を保てる可能性がありそうです。
僕自身も、そういう「従来の常識が通用しない未来の世界」を覗いてみたい、と自分が強く思っているということを改めて実感する機会となりました。
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