近ごろの若い人が優れている理由(その2) – RPG化する世界

こんにちは。ゆる子Aです。

これは、前回記事「近ごろの若い人が優れている理由(その1) – RPGゲームFallout 3をクリアして学んだこと」の続きです。

(その1)では、

  • 若い世代にとってはRGP(ドラクエ)の世界観が子供時代のデフォルト体験となっていること
  • 高校時代にドラクエを挫折して以来RPGゲームにコンプレックスを抱いている僕が「ゲームは1日30分!」ときめて半年かかってやり終えたこと
  • ゲームをやり終えた感想として、RPGは「流れ」のない世界だと感じたこと

について書きました。後半は

  • 試合の流れが二転三転するプロスポーツ的な世界こそ「作られたファンタジーワールド」だということ
  • 現実世界では、ほとんどの場合、流れは一方的なものになるということ
  • 地道にレベル上げをして局面を打開していくRPG的な世界観の方が実は「リアルワールド」に近いということ

結論としては、今は、流れを引き寄せなくても、確率を上げれば小さく勝てる時代になりましたので、幼少期からRPG的なレベル上げの世界観に親しんでいる若い人たちから謙虚に学んで、ネット時代の戦い方を学びましょう、ということです。

目次

  • 流れは乗るもの、レベルは上げるもの
  • 流れは客観的、レベルは主観的
  • リアルワールドに実力伯仲の戦いはない
  • レベル上げを子供のころから知っているのは強い
  • 新しいゲームがすべてRPG的なわけではない
  • 結論:運や流れを引き寄せなくても、小さな勝利なら手に入る

流れは乗るもの、レベルは上げるもの

さて、ざっくり言ってしまえば、

「流れ」は循環するもの
「レベル」は蓄積されていくもの

だと言えると思います。

「大局的な流れ」、などというと、流れを見るほうが高級そうに見えますが、決してそんなことはなく、森羅万象のあらゆる局面に、循環するものと、蓄積されていくものの両方が存在していると思います。

流れは、英語で言い換えればフロー(flow)です。個人のバイオリズム、社会の流れ、時代の潮流などなど。流れというものは、個人の意志の力では抗いようがない場合がほとんどであり、逆に言えば、さからうことのできないもの、上手に乗っていくことしかできないもののことを、僕たちは「流れ」と呼ぶように思います。

流れにあえて逆らおうとすると幕末の新選組のような立場に置かれます。

そんな大きな話でなくても、個人の体調やメンタルの浮き沈みでも同じです。調子の悪いときは、あまりジタバタしないでなんとかやり過ごして、やがて再浮上するタイミングを待つしかありません。これが循環する「流れ」だと思います。

一方、RPG的なレベル上げというのは、ひたすら積み上げていって上を目指すものです。この意味では、ストック、資産的なものと言い換えられるでしょう。

これは、寄せたり引いたりして循環する流れとは違い、一方的にどんどん積み上がっていくか、逆にどんどん失われていくか、どちらかしかないように思われます。

ここで、RPGの面白い点は、レベル1から始まって、2、3、4とどんどん上げていく一方の世界観だということです。途中で決断を誤っても、負債がたまって、レベルー1、-2となることはありません。

流れは客観的、レベルは主観的

もちろん、野球の試合にもレベル上げの要素はあると思います。というより、プレイヤーにとってみれば、レベル上げがすべてかもしれません。

「流れ」というのは、ある程度俯瞰しなければ見えませんし、ある意味、他人事として見る必要があります。

流れは、観客席に陣取って気楽に腕を組んでいる第三者に一番よく見えるものだと思います。

世界情勢にも流れはあるでしょう。しかし、一介の市民が世界情勢のことをあれこれ偉そうに語っても仕方がないし、しょせんは日常の不満のはけ口にしかなりません。

あるいは、テレビを見て、今この芸人さんキテるな・・・乗ってるな、などと感じることがありますが、これは流れを見ていると言えます。しかし、しょせんは他人事だから言えることです。

芸人さん本人は、芸能界で必死にレベルアップを図っている最中だと思います。

そういう他人のことは放っておいて、地道にブログをアップする。ツイートする。動画をアップする。目の前の課題をこなす。これがレベル上げの世界観だと思います。

堀江貴文さんなどは、その典型のような気がします。

他人事として堀江さんの流れを見た場合、ニッポン放送の買収劇あたりまでは上げ潮で、その後のライブドア事件から服役あたりまではどうしようもない下げ潮かもしれません。

しかし、ご本人は著書「ゼロ」にも書かれていたように、刑務所の中ですら、「刑務所のエリートとしてのレベル上げ」に集中していたそうですから、今目の前のことに徹する姿勢はさすがだと思います。

現在、インターネットの普及で、情報の単なる受け手が減って、発信者が増えているのは間違いありません。

言い換えれば、観客席で流れを見ているだけの人が減り、自分も舞台に上がって地道にレベル上げをやるプレイヤーが増えている、ということだと思います。

まあ、これも時代の「流れ」なのでしょうけど。

しかし、そんな流れを傍観している暇があったら、さっさと舞台に上がった方がいいと思いますし、いざ舞台にあがってしまえば、あとは地道にレベルアップを図って、目の前のことをやり続けるしかありません。

リアルワールドに実力伯仲の戦いはない

ところで、世の中のあらゆるスポーツや、RPG以外のゲーム(将棋やポーカーから今はやりのオンライン対戦型ゲームまで含めて)の世界はすべて、「互角の条件下で相手をいかに倒すか」を競う世界だと思います。

しかし、実社会では、互角の力を持つ者同士が激突するというシチュエーションはほとんどありません。

レアルvsバルサ
巨人vs阪神
武蔵vs小次郎

みたいな戦いは、あくまでそのように設定された舞台の上での戦いです。

リアルな歴史をひも解けば、

刀vs鉄砲
竹槍vs焼夷弾
小売店vsアマゾン

などなど、圧倒的な実力差がある戦いばかりが目に付くことがわかります。

そして、RPGの世界にも、実力伯仲の戦いというのはありません。

RPGの世界では、レベルを上げていけば、最初は手こずった相手にも次第に余裕で勝てるようになります。Fallout3で言うなら、こん棒で向かってくる相手をレーザーライフルで仕留められるようになります。ウインブルドンの決勝とか、スーパーボウルみたいな実力伯仲者の激突という局面はありません。

勝てるかどうかわからない状態で突っ込んでいくことはしませんし、第一ゲームそのものが、レベルが低い状態で無理に先に進もうとしても進めないようになっています。レベルが上なら勝てるし、下なら負けます。「桶狭間の戦い」みたいな勝ち方はできません。

僕は、相手が上だとわかればとにかく逃げていました。そして、現在のレベルで倒せる雑魚をひたすら倒しまくって、レベルを地道に上げて、お金を増やして、新しい武器を買って、十分に勝てると判断してから再度戦いに臨みました。それの繰り返しです。そうやって無敵への道をたどり始めたころに、ゲームは終わりました。

この方がリアルな世界に近い気がします。刀に対して鉄砲で迎え撃つ世界に近いからです。

レベル上げを子供のころから知っているのは強い

この点で、今の若い人が優れていると思うのは、上にも書いたように、レベルを1から徐々に積み上げて、ヒーローになって自己実現していくゲームを、小学生のころからやりこんでいるという点だと思います。

漫画や小説のように、単なる受け手として読むだけではなく、ある程度アクティブに取り組んでささやかな成功体験を得ている点が、脳の働きの点から見ても違うのではないでしょうか。

プロスポーツの世界では、桶狭間的なジャイアントキリングも時々起こります。しかし、あれもよくよく考えてみれば、その前提としてある程度戦力を拮抗させているからこそ、10回に1回成立する、筋書きのないドラマだと言えそうです。

ところで、語学は、1~2年ジタバタ勉強していると、ある日突然レベルがぐいと上がる、ということの繰り返しなのですが、これはむしろRPGに近い感覚です。そう考えれば、この方が世の中のリアルだという思いがますます強まります。

一方で、オリンピックや日本シリーズみたいな戦いは、一種のファンタジーワールド。あらかじめ設定された舞台の上でしか成立しない戦いだと思います。

新しいゲームがすべてRPG的なわけではない

ビデオゲームの世界でも、すべてがRPGと同じというわけではありません。たとえばeSportはトッププロ同士が激突すべくして激突するようなシステムになっているようです。その意味では、根本的には、武蔵vs小次郎の世界であり、オリンピックやウインブルドンと変わらないように思います。

eSportの世界でも、さまざまなドラマチックな名勝負、言い換えれば筋書きのないドラマが展開されることでしょうが、それではオヤジ世代が日本シリーズを見ているのと本質的には変わらないように見えます。高度なレベルで実力が拮抗するもの同士のつばぜり合いを傍観している限り、最終的には他人事になってしまって、思考停止してしまうと思うからです。

繰り返しますが、現実の勝負は、たいての場合、刀Vvs鉄砲、小売店 vsアマゾンであり、戦う前に勝敗が決まっていることがほとんどです。

そこでやられないためには、レベルが低いうちは地道にレベル上げをやって、強い敵からは逃げ、やがて十分に勝てる見込みがついてから強い敵と戦うというRPGでは当たり前の戦い方が必要だと思います。

結論:運や流れを引き寄せなくても、小さな勝利なら手に入る

若い人が優秀な理由の一つは、幼少期から身についている戦い方が、「誰もが小さな主人公になれる」ネットの世界観にフィットしているからだと思うようになりました。

たとえ運や流れを引き寄せることができなくても、地道に確率さえ上げていけばやがて小さな勝利が手に入る、という世界観です。

しばらく前の時代ならこうはいかなかったと思います。もしかすると・・・しばらく後でもこうはいかないのかもしれませんが、そこはよくわかりません。

いずれにしろ、僕は今「運や流れを引き寄せなくても、小さな勝利なら手に入る」という新しい世界観について、若い人たちから学んでいるところです。

こういう世界で戦うために絶対的に必要なのは、レベル上げという名の勉強です。

このブログでは、そういう意味も込めて、フリーランスが、運や流れに左右されない小さな戦いを戦うための学びの道について記録していきたいと考えています。