「いい大学を出て自分は頭が良いと思っている人たちは、自分がいかに恵まれているかをわかっていないお気楽な人たちである(後編)」

(前編)の続きです。

早速ですが、この記事には役に立つポイントは何もありません。

まず「話の結論から言う」つもりもありません。

他人の人生を「結論から言う」気にはなれません。

何か有用な情報を求めている方々には、できるだけ早くこのページを立ち去ることをお勧めします。

さて、前回記事ではようやくIT職で食べていけるようになった僕が、ふとしたきっかけで知恵の遅いご夫婦に出会って、IT職を退職して警備会社に就職した経緯を記しました。

本記事では、僕が2009年に警備会社に勤めていたころに出会ったO沢さんという先輩警備員の思い出を中心に書いていきます。

目次

  • 警備のこと
  • O沢さんとの出会い
  • I籐さんとの出会い
  • イイ人が多い
  • O沢さんの記憶力
  • 天涯孤独
  • レイプの手伝い
  • O沢さんの頭の良さ
  • 霊園の思い出話
  • 終わりの日

目次

O沢さんは、出会った2009年当時70代になったばかりだったと記憶していますので、おそらく戦中生まれだと思います。

一口に警備と言ってもたしか1号~4号警備までの4種類があって、
・要人警護
・交通整理
・常駐警備
・機械警備
に分かれています。(どれが何号だったかは忘れましたが)

ともかく、上2つと下2つでは業務内容が大きく異なります。

要人警護が鍛え上げられたプロの仕事だというのは当たり前ですが、
交通整理も、体力やすばやい判断力が要求される高度な仕事であり、素人が明日からやれるというものではありません。

それにくらべて、常駐警備と機械警備は、基本的に制服を着て突っ立っていればいいだけの楽な仕事です。素人が、明日からやれるタイプの仕事ですので、自然に高齢者の割合が多くなります。

今、ふと思ったんですけど、ブロガーやYouTuberは、警備会社で日銭を稼ぎながら、執筆や撮影を進めていくのが手始めにはいいかもしれませんね。シフトの間はただ管制室に座っているだけですから、24時間ブログを書きまくることもできて、かつ日銭になりますよ。

さて、警備に話を戻しますが、常駐警備というのは、僕らが普通に思い浮かべる、いわゆる「警備」のことです。建物の隅に「警備室」というのがあって、そこに常駐している警備員が夜中に懐中電灯を持って施設を回って歩いたりするイメージです。

サスペンスドラマではよく最初に死体を発見したりしていますが、もちろんそんなことはありません。

常駐にはコストがかかるので、よほど大きな会社や工場でなければ、最近はあまり採用されなくなりました。

昨今の流行りは機械警備で、中小の工場や店舗のほとんどはこれです。

建物の周囲に赤外線センサー、熱センサー、カメラなどを張り巡らせて、その情報が逐一警備会社に送られ、警備員が本部モニターで24時間監視し、必要があれば現場に急行します。

僕がやっていたのもこの機械警備でした。

勤めていたのは〇コムとか〇〇ソックのような大手ではなくて、地元の小さな警備会社です。

O沢さんとの出会い

なんでO沢さんが警備員になったのかは、聞いたような気がしますが忘れました。なんとなくはぐらかされたような気もします。

ともかく相当キャリアが長いということだけは間違いありません。2009年当時で数十年のキャリアはあったはずです。
定年退職後にハローワークで紹介されてきました、という感じの警備員とは一線を画していました。

孤児院出身だということは、会社ではなんとなく知れ渡っていました。

僕がO沢さんの出自について初めて聞いたのは、70代で元スナック経営者の同僚I籐さんからだったと思います。

O沢さんも別に隠す気はないらしく、聞けばなにやかやと、当時のことを教えてくれました。

I籐さんとの出会い

ところで、この元スナック経営者のI籐さんからも、いろいろ教わりましたね。僕は本当に世間知らずだったので。

I籐さん は、映画好き、小説好きで、しかも四国出身(高知)だったので余計に波長が合ったのかもしれません。覚えているのは・・・

・スナック経営中に長年経費をごまかしていて、税務署が乗り込んできた時の話。

署員から面と向かって「わかるだろ」とだけ言われただけで
即「はい・・・」と観念してしまったと言ってました。

そういうもんなんだそうです。逃げられないものなんだそうです。

・ホステスさんの内輪の会話が聞くに堪えないという話。

全部、男性の悪口だそうです。ああいうところに遊びに行ったりするもんじゃないよ、と言ってたな~。

I籐さんは、夫婦仲が決定的に悪くなって以来、今は奥さんに敬語で接している、ということなども聞いたような気がします。

あと、国民年金に入っていなかったので、今から急いで積み立てているという話でした。

当時(昭和)の中小のスナック経営者でまともに年金に入っている奴なんかいないよ、と言っていました。

そもそも、そういう情報自体がなかったそうです。

I籐さんは、この仕事をハローワークで仕事を見つけたらしいけど、そのハローワークにすら、最初はなかなか入れなかったと言っていました。

自分なんかがお上にまともに相手にしてもらえるわけがないと思っていたんだそうです。数十年間入れなかったと言っていました。公共団体に対してそういう感覚を持っている人って今は少ないと思います。

それから、オタクで閉じこもっている長男についての愚痴もずいぶん聞いたな。。。

イイ人が多い

I籐さんに限らず、他の警備員も、高齢で余裕のない生活をしている人が圧倒的に多い様子でした。

僕が驚いたのは、がんの摘出手術を受けて入院していたはずの〇〇さんが(名前忘れた)、たった1週間で退院してきて「働かせてくれ」と言って、シフトに入ってしまったことです。

それくらい余裕のない人が多かったですね。

でもいい人ばかりでした。

京大などにも、もちろん好いヤツも一杯いるんですけど、一方で邪悪なヤツもチラホラいます。他の場所ではそうそうお目に掛かれないようなタイプです。頭が切れるゆえにやっかいな連中です。

そうですねえ・・・20人に1人くらいはいたかな(当社比)。

頭が切れるくせに保身しか考えてなくて、いかに他人を犠牲にして上手に立ち回るかしか考えてないようなタイプです。

たとえば、仮にA君としましょう。それで僕とA君が一緒にバイトに入って、A君がミスしたとします。

すると本部に返ってきた頃には、A君ではなくなぜか僕がミスしたことになっているんですよ(笑)。

この手の奴が高級官僚なんかになったらたまらんな~と思っていました。

一方で、大学の食堂には、大声で何時間も天下国家をまじめに論じているような連中も結構いましたし、頼もしくも感じていました。

霞が関にはぜひそういう連中に行ってもらいたいと思っていたんですけど、A君みたいな男も絶対にチャンスは逃さないタイプなんですよ。だからおそらく今頃は、どこかの官公庁か大企業の片隅でせっせと他人の足を引っ張っているんだろうな、とは思っています。

元2ちゃんのひろゆきさんもどこかの動画でしゃべっていた記憶があるのですが、底辺の職場にはいい人が多いと言っていました。

僕もまったく同感です。僕の勤めていた警備会社も、騙すよりも騙されることの多い人生を生きてきたような人たちの集まりでした。

O沢さんの記憶力

シフトの基本は、警備員2人×24時間交代です。

だから、一度入ってしまえば、あとはアラームが鳴らない限り、本部で24時間座っているだけなんです。たまにパトロールに出かけることもありますが。

24時間も並んで座っていれば自然に親しくなるし、たいていのことは話せる間柄になってしまいます。

ところで機械警備で一番困るのは、現場の土地勘です。

各警備会社は、本部から車で20分以内に急行できる施設でなければ警備できないという法律があるそうです。それでも数百件を担当しますから、新人にとってはまず場所を覚えるのがなかなか大変です。

それでO沢さんのすごいところなんですが、彼は一度行った場所の地理は全部頭に入ってしまう人だったんですよ。

初めての契約先に出向いた場合でも、本部に帰還したら、O沢さんはすぐに大学ノートに手書きで地図を書くんです。1回行くだけで、地図はほぼ完ぺきに出来上がります。

これが、市販のどの地図よりもわかりやすいんです。

僕は、新人の頃、土地勘を得ようと思って、がんばって市販の地図を買い込んで模写をやっていたんです。

しかしI籐さんから「そんなことしても無駄だよ、O沢のノートを見た方がはやいよ」と言われてしまいました。

それでも意地のように国土地理院の地図の模写を続けたのですが、結局、I籐さんの言うととおりで、国土地理院の地図は、警備員が現場に急行するためにはまるで役に立ちませんでした。

全職員が、O沢さんの大学ノートを頼りに動いていました。

天涯孤独

地理が全部頭に入ると言っても、O沢さんはいわゆるレインマン的な感じの人ではありません。

車の改造、天体観測、バードウォッチング、パチンコが好きな普通の男性です。

僕が知り合った頃は、警備会社の寮で1人暮らしでした。

孤児院出身と聞いていたので、本当の天涯孤独ですね。

それで、あるときI籐さんから、「 O沢は 、実は70過ぎて童貞なんだよ」と聞かされました。

「あいつは孤児院育ちで子供のころにトラウマになった出来事があったらしくて、それで70過ぎた今でも女性に触ることができないんだ」と。

上にも書きましたが、警備のシフトに入ると、本部のモニターの前で2人の警備員が24時間座り続けることになります。

もちろん、発報(アラーム)すれば、どちらかが急行するのですが、そういうのは多くても1日数回です。

するとあとは、24時間、仮眠と食事の際以外は、ずっとよもやま話を続ける感じになります。もうあることないこと、なんでもしゃべるんですよね。

それで次第に打ち解けていって、僕もプライベートのいろんなことを聞くようになりました。

一つは、当時の孤児院の仲間について。

「当時の仲間に今、会うことはないですか?」

「みんなヒロポンにやられて死んじゃったよ」というのが答えでした。

ヒロポンと言うのは覚せい剤の旧称です。覚せい剤が”合法”だった時代にそう呼んでいたそうです。

O沢さんによれば、中毒になるとすさまじくて、ひたすら壁を殴り続けたりするんだそうです。

「あれすごいんだよ。壁をどんどん殴り続けるわけ。骨が飛び出ても殴り続けるんだよな」という話も聞きました。指の骨が露出してもなお殴り続けているのを実際に見た、とO沢さんは言っていました。

孤児院の同僚たちが次々にヒロポンで狂い死にしていった話を聞きながら、僕は思わず「よくぞ今日までご無事で」と言ってしまいました。

警備員は誰でもやれる便利な仕事ですが、ただし前科がないことが条件です。
一度でも犯罪に関わっている人を雇うことはできません。

周囲がどんどんヒロポンでやられていく環境で、 犯罪に関わらず、 70代まで警備員としてごくまっとうに、星と野鳥を愛して、天涯孤独に生きてきたO沢さんの人生は、僕にはすごいことに思えました。

レイプの手伝い

もう一つは、子供のころにレイプの手伝いをさせられた話。

孤児院のリーダー格に命令されて、やっていたそうです。子供たちが数人がかりで女性の手足に一人ずつしがみつき、動けないようにしてから、リーダーが強姦していたんだそうです。

O沢さんは、女性の足を押さえる役目をさせられていたと言っていました。

「なんで拒否しないんスか?」と僕がいきり立つと
「俺が殺されちゃうよぉ・・・」というのが答えでした。

おそらく何度も何度もやらされたんでしょう。

それがトラウマになって、その後女性との付き合いは一切できなくなった、ということだそうです。それで今は天涯孤独です。

彼が小学生の頃の話ですから、おそらく1949~50年くらいでしょうか。戦後後の混乱期ならばそういうこともあっんでしょう。

数年前に石井光太氏の『浮浪児1945』というノンフィクションを読みました。

1945年に上野の浮浪児だった子供たちのその後の人生を追いかける話で、僕の好きなノンフィクション作品の中ではベスト5に入ります。戦後のがむしゃらな感じが伝わってくる本です。

O沢さんも、もしかするとこういう浮浪児の1人だったのかもな・・・と思いながら読みました。


浮浪児1945‐: 戦争が生んだ子供たち (新潮文庫)

O沢さんの頭の良さ

警備員時代に出会った人は、みんな気さくで頭もいい人たちだったけど、O沢さんの頭の良さはずば抜けていました。

警備契約先の中には結構、外車のディーラーが多く含まれていたのですが、こういう取引先はセンサーを多重にセットしているので解除もややこしく、O沢さんしか解除できない施設がいくつかありました。

O沢さんは、週末になると、改造して寝られるようにしたスズキ エブリイで奥多摩へ出かけていき、野鳥や星を見ながら野宿して帰ってくるのが楽しみだと言っていました。

僕は全く天体のことは無知なんですけど、 パトロールから本部へ帰ってきた時に、向かい側の工場の真上でやけに輝いている明るい星があったんですね。 それで、O沢さんが星にも詳しいので、「あれはなんですかね?」と聞くと

僕に背を向けてテレビに向かったまま「シリウス・・・」と言いました。

「いや、違うんスよ。今ね、ホラ向かいの工場の煙突の脇にね・・・」とドアをあけて指さそうとすると

「だからシリウスだっつーの!」(なおも振り向かず)

“そんな基本的なことを俺に聞くな”的な雰囲気をただよわせつつ、言われてしまいましたね。

霊園の思い出話

それから、O沢さんとは面白い思い出もあります。

何度も言っていますが機械警備は2人体制の24時間シフトなので、深夜の時間帯も2人でウダウダ世間話を続けるわけですね。

それでその日はなぜかたまたま怪談話をしていたんです。O沢さんが埼玉のヤバい心霊スポット的なことを教えてくれていました。

「○丸峠やばいんだよ」

「ホントっすか?なんかの見間違いじゃないんスか?」

「いやいや実際に俺がエブリイで走っていたらさ・・・」

ここでピーピーピーピー!

警備アラーム発報です。2人してモニターをのぞき込んでみると、発報先は「○○霊園」!

瞬時に、お互いの顔を見合わせました。

あのときのO沢さんの真剣な目の色からすると
「こういうことは滅多にないんだな」、というのは感じました。

霊園に出かけるのは僕に決まっています。

これは上下関係とは関係なくて、ベテランの方が後方支援に残る決まりなんです。

霊園はいわば単なる更地なので、センサーの仕組みも簡単で、僕でも解除できます。だから僕が行くのは決まっているんです。

一方、この後、続けて外車ディーラーが発報しないとも限らないわけで、そのときに僕が残っていても複雑なセンサーには対応できません。

その場合は、たぶん社長を起こしてきて、本部を頼んでから、O沢さんと入れ違いで霊園に入り、彼に外車ディーラーに向かってもらわなければならなくなります。

そういうややこしいことを避けるためには、たとえ怪談話の途中であろうなかろうと、霊園に行くのは新米の僕に決まっているわけです。

というわけで、霊園に着いた僕は、遠くの御影石に反射する自分の懐中電灯に怯えて思わず「ひゃっ」などと言いながら、深夜の霊園を1人で巡回しました。

そしてふと疑問が湧いてきました。「なんでこんなことをやっているんだろう。なんで縁もゆかりもない武蔵野の地で深夜の霊園に怯えているんだろう」って思ったとき、頭上にひときわ明るく輝いていたのが、先述したシリウスだったんです。

終わりの日

人にも恵まれ、負担もなく、楽な職場だったのですが、僕自身は、1年もたたないうちにやめてしまいました。

(前編)で書いたように「プライドも何もいらない仕事をやろう」という志(こころざし)は立派でしたが、実際には、あまりに仕事が単調すぎて飽きました。

もう少し刺激のある複雑な仕事を求めるようになってしまいました。

ところで、本記事のタイトルにしている「実にお気楽な人」というのは僕自身のことです。

O沢さんと自分を比べて、僕の方が優秀だと言える箇所は1つもないし、あえて言うなら生まれがやや恵まれていたというだけです。彼との付き合いでそいうことを感じさせられました。

これは僕だけでなく、世間で結構な大学を出て結構な大企業に勤めているような人たちはみな同じだと思います。

本当にたまたま生まれが恵まれていただけなんですよ。しかし、たとえこう言われたって、(たしかに環境もあったかもしれないけど)それでも自分は人よりは頭が良いと思っているはずですよ。

こういうことは実際に経験してみなければ分かりません。本当は環境がほぼすべてだと思います。このことは最近のアメリカの調査でも明らかになっています。

京大に通っている子は、自分は受験を頑張ったのだからは賢いんだとどこかで思っているはずです。しかし、どれほど自分が恵まれていたかは、実際にそうでない人と比べてみなければ実感できないんです。

最近でこそ、幼少期の環境が大事だと言われたり、有名大学に通う学生の親の収入は一般よりはるかに高い、というようなことも言われるようになりましたが、そうした情報に接するだけでは「ああそうかもね」で終わってしまいます。

ここで、話は変わりますが、たとえば「親はありがたい」って口で言うのは簡単です。けれど実際に1人暮らししてみなければ、本当のことはなかなかわかりませんよね。

あるいは、また全然別な例ですけど、
教育実習に行った学生は、実習修了時の感想に必ず
「これまで教師という仕事をを舐めていた」
「授業をコントロールするのがどれだけ大変かようやくわかった」
なんてことが書くのが通例です。
しかしこれも、自分が教える側に立ってみなければ、実感はできません。

さらに話を広げるなら、独居の高齢者の本当の寂しさと言うのも、おそらく今の僕にはわからないはずです。

このあいだ妻が一週間ほど風邪をひいて寝込んでいたことがあったのですが、その間は、まあ死んだように眠っていたんですね。するとこっちまで元気がなくなってきました。

これは、妻が旅行に行っていて不在というのとは別種の空虚感があるんです。

なんかこちらのエネルギーまで奪われるような寂しさがあるんだけど、おそらくそういうことの延長上に、高齢者の1人暮らしというのがあるのかな・・・などと想像はしています。

いずれにしろ、想像でしかなくて、ホントのところはわかりません。

O沢さんは、時代や育ちが異なっていれば、フツーにいい大学に入って、フツーにいい会社に入って、問題も起こさず、勤めあげて幸福な家庭を築いているような人だったと思います。

逆に僕がO沢さんの境遇に生まれたとすれば、おそらく早々にヒロポン中毒でくたばっていたことでしょう。

退社前、最後の記念に、O沢さんと課長と3人で写真を取りました。

課長もかなり面白い人生を歩んできた人だったんだけど、今回の話に絡めることができませんでした。

課長もO沢さんもI籐さんも元気で暮らしていらっしゃることを祈っています。

ABOUTこの記事をかいた人

松山市生まれ、埼玉県在住 京大大学院博士課程中退 カンザス大学修士号 元短大教員 元警備員 元ITエンジニア 現在はウェブ翻訳家 以前は短期大学で常勤講師をやっていました。一生その路線で行くつもりだったのですが、思うところあって退職。その後は、コンビニのバイトを面接で落とされたり、警備員をやって深夜の霊園に怯えたり、ITエンジニアをやったりと迷走しつつ、現在はウェブ翻訳家に落ち着いています。