休む勇気
今日は仕事のオファーを断って、訳文の研究をやった。仕事をすればお金になるが、他人の訳文を研究しても1円にもならない。作業内容はさして変わらないのに1円にもならないことをやっているという意味では遊んでいるわけだ。仕事のオファーを断って遊ぶには勇気がいる。
オファーを断ること自体がそもそも心苦しいし、体力を失う。いそがしいときですらそうなのだから、やれるときに断るのはもっと疲れる。
しかも、世の中にはOJT(On-the-Job Training、オン・ザ・ジョブ・トレーニング)という便利なコトバがあって、これは、仕事が実地研修になるという考え方だ。考え方というより事実である。仕事はいくら机上でまなんでもやってみないとわからないことがたくさんある。
しかし、これは言い訳にもつかえる。仕事をいったん停止して基礎から改造しなければならない場合でも、「仕事をしつつ学べる」という方についついにげてしまいがち。そりゃあ、学びながらお金をもらえる方が得だし、依頼側にも受けがいいし、八方よしである。
だが、プロスポーツ選手だって、シーズンオフのトレーニングでしか身につかないものがある。彼らにはシーズンという切り替えがあるが、ぼくらにそういうものはない。放っておけば、引退するまでシーズンが続く。
休むための休日ではなく、キャンプを張り、力をつけるためのオフは、勇気を出して自分から動かない限り、どこからもだれからももらえない自分へのプレゼントだ。だが、これをやらないと上には上がれない。
今もこうして書くことで、自己正当化をやっている。罪悪感を消し、自分は正しいんだと自己確認している。
ヘンなプライドを捨てる
どんな仕事でもそうだけど、翻訳だってあるていどのキャリアを積めば、そこそこできるようになるし、それなりのプライドも生まれる。だが、さらに上を目指そうとすれば足りないものは多い。そのことは自分でわかっているんだけど、チンケなプライドが邪魔するんだよな~。自分にダメ出しをするのがおっくうだ。すーごくおっくうだ。
今日は、超一流といわれる翻訳者の訳業と、自分で訳した文章の徹底比較をやった。やったら落胆するに決まっているし、悔しい思いも味わう。なのにあえて仕事を休んで1円にもならないセルフダメ出しをやるのはおっくうであーる。
しかし、わかっているよ。やらないと伸びないんだから。これを避けておいて、試合に負けて悔しい思いをするのはぼくである。やらなければならない!
だれだって成長したい
どんな仕事でも、好きでたまらないという人もいれば、イヤでたまらないという人もいるだろう。翻訳も天職のように取り組んでいる人もいるが、ぼくはどちらかといえばちがう気がする。翻訳という仕事は、職人的な精度と厳密さが要求される一方で、イノベーションが求められているわけではない。息が詰まることも多い。
しかし、どんな生き物でも、いくつになっても、「成長したい」気持ちは変わらないと思う。ぼくもたとえ天職であろうがなかろうが、それでも停滞しているよりは、成長したい。前に進みたい。そのほうが気持ちがイイ。
超一流の訳文を読むのは、山の頂上を見上げているような気分でもあり、一方で紙一重だと思える部分もある。プロサッカー選手がワールドカップに出たときに言っていることに近いかも。遠くおよばないように感じつつも、あとわずかで追いつけるような気がふとすることもある。
超一流と言ったって、完璧なわけではない。みごとだと思う一方で、苦労しているなと思える箇所もあり、自分ならこうすると思えることもある。
試行錯誤の跡を感じつつ、ひょっとしてこの人はイイ人なんじゃないかと思ったりする。そういう対話は、実際に戦った者同士でなければ成り立たないコミュニケーションだ。これは楽しい。レベルの高い、息苦しい場所で心が通うような気がする体験は、やはり楽しい。
視野を広く持つ
ぼくはこれからしばらくのあいだ、ときには仕事を断りながら、こういうことを続けるだろう。そうすれば、ある程度行きたい場所に行けることは、もう初日にわかってきた。必要なのは、自分にダメ出しをする勇気だ。
これまで怠けていた分、伸びしろのかたまりである(笑)。なんちゃって。
以上は、そこそこやれている人が次に行くためのエールとして書きました。ぼくもそこそこやっていますが、これで終わりたくはないです。
ただし、狭い世界で技術を極めることに埋没しないように、ひろくやわらかい視野を忘れないように、ということには注意しよう。「ひょっとしたらぜんぶひっくりかえせるんじゃないか」というふざけた視点は持ち続けようと思っています。
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